保育目標
- ●元気に遊べる子ども
心身を使い、思いきり遊べる子ども - ●自分で表現し、工夫し、考える子ども
自己表現をしっかりとして、集団の中で工夫し、考える子ども - ●仲間と共感しあう、心豊かな子ども
友だちが大好きで思いやりのある心を持ち、感性豊かな子ども
保育基本理念
- 子どもの最善の利益を求める「子どもの権利条約」を遵守し、児童憲章、児童福祉法を守り発展させる。
- 保育を必要とする乳児、幼児を養護・教育し、すべての子どもの発達を保障する。
- 地域社会で子どもの育ちを最優先する立場から、施設開放、子育て中の育児不安等の相談など保育所と地域社会の有用な社会資源として活用を図る。
- 激しく変化する社会の中で、保育に対するニーズは複雑化し更に多様化しつつある。このニーズに応えていくことのできる広い社会的視野に立ち、たえず保育内容の改善をすすめる。
沿革
昭和32年 | ・財団法人柿葉会神奈川診療所及び生活相談所設立 ・児童の健康診断、低額無料診療等の実施 |
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昭和45年 | ・白百合乳児保育園設立準備会発足 亀住町町内会有志等の署名にて大蔵省に国有地払い下げ要望書提出 |
昭和46年3月31日 | ・『社会福祉法人白百合会』認可 |
昭和47年5月1日 | ・『白百合乳児保育園』開設 〔0才、1才、2才児まで 定員60名〕 |
昭和49年 | ・保留児が多いため、定員変更 〔乳児80名、幼児10名で90名に〕 |
昭和61年 | ・幼児保育に取り組むために定員90名の枠内で 乳児60名、幼児30名に変更承認される ・園長変更 柿原撫子→柿原惇子 |
昭和62年10月 | ・理事長変更 柿原撫子→柿原惇子 |
昭和63年7月31日 | ・看護師を配置 |
平成3年4月 | ・横浜市産休明け保育を開始 指定園となる |
同 10月1日 | ・長時間保育を夕方のみ6:00から6:30までと変更 |
平成4年3月14日 | ・屋上を屋外遊戯室として承認される |
平成7年6月 | ・時間延長サービス事業開始 閉園を6:30から7:00までに変更 〔定員90名の15%受け入れ可能になる〕 |
平成8年1月 | ・年度途中入所事業の開始 |
平成10年7月 | ・一時保育事業開始 |
平成11年4月 | ・時間延長サービス事業 閉園を7:00から7:15に変更 |
同 10月 | ・民間施設耐震診断調査実施 |
同 12月 | ・民間施設耐震診断調査結果報告 |
平成12年6月 | ・私有地貸与上末地区に新設決定報告 |
平成13年4月 | ・『上末吉白百合保育園』開設 (白百合乳児保育園の姉妹園として) 柿原惇子 園長に就任 ・白百合乳児保育園園長変更 柿原惇子→小山美千子 |
平成14年 | 11月 白百合乳児保育園30周年、上末吉白百合保育園1周年記念式典 |
平成16年4月 | ・丸山台保育園移譲(公立民営化) 園長 柿原惇子 ・上末吉白百合保育園園長変更 柿原惇子→柿原建男 |
平成17年4月 | 白百合乳児保育園 分園 あかいやね 開設 園長 小山美千子(本園 分園 兼務) 幼児部として設置。定員90名⇒135名 |
平成19年4月 | 分園 あかいやね⇒第二白百合乳児保育園として独立 園長 柿原 惇子 開所時間 7:00~20:00、 延長保育の夕食始める。 ・丸山台保育園園長変更 柿原 惇子⇒伊藤 直幸 上末吉より 関口 悦子 副園長として就任 |
平成21年4月 | 白百合乳児保育園 上末吉より 伊藤 弘子 副園長として就任 第二白百合乳児保育園 片岡 慶子 副園長として就任 |
平成22年4月 | 白百合乳児保育園園長変更 小山 美千子⇒伊藤 弘子 第二白百合乳児保育園園長変更 柿原 惇子⇒片岡 慶子 |
平成23年11月 | 白百合会 40周年記念式典 |
平成25年4月 | 西川島保育園移譲(公立民営化) 園長 片岡 慶子 第二白百合乳児保育園園長変更 片岡 慶子⇒柿原 建男 上末吉白百合保育園園長変更 柿原 建男⇒関口 悦子 |